旅のきっかけ
当時17歳、高校2年   ・2001年7月、人生初めて自転車1人旅に出たのがきっかけだった。

たまたま、テレビで「日本本土最北端の宗谷岬から日本本土最南端の佐多岬を目指してマラソンしよう?」なんとかの番組をみた時だった。

「日本本土最北端の宗谷岬?」

北海道に生まれてから今まで17年間、旅に縁がなかった。小さい時に親の連れで九州や東京、北海道の道央に行った位で、自分から「あんなとこに行ってみたい!」と思った事がなかった。

そんな自分が、初めて「日本本土最北端の宗谷岬」の言葉に魅かれてしまった。

自分の足で、日本最果ての地ー宗谷岬にたどり着けば、どんな世界がみえるんだろう?

本当に気になってしょうがなかった。

そして、高校2年の夏に人生初めて自転車1人旅に出た。北海道深川市~宗谷岬2日間、距離275km。いつもの変わらぬ景色を見飽き、太陽の光線を浴びて汗をかきながらもひたすらペダルを漕ぎ続けた。
「ああー自転車の旅をするんじゃなかった!宗谷岬って思っていた以上に遠すぎるし、ペダルをこぎ続けるだけの旅なんてどこが楽しいんだよ??くっそー」と愚痴るが、何故か途中で旅をやめようとしなかった。

「日本本土最北端の地ー宗谷岬を自分の目で確かめてみたい!!」その想いが心の支えになっていたのだ。
おかげで、14時間50分かけてようやく最北端の宗谷岬に到達。

そして、到達した時に見た景色は今までにない未知の世界がぱぁーっと広がっていた。

「こ、これが旅なんだ・・・。」

今まで味わった事がなかった至高の達成感、そして旅の感動。


高校2年の夏、自転車1人旅で人生初めて日本本土最北端の地ー宗谷岬に到達したナガタカ。

もし、飛行機や車で宗谷岬に行っていたら、自転車1人旅の時に味わった感動はなかったかもしれないし、趣味として旅をすることはなかったかもしれない。

ちょっと話変わるけど、宗谷岬を目指して懸命にペダルをこき続けている間に何回かバイク1人旅の人達とすれ違った。そんなバイクを見て、「いいなぁ、今度バイクの免許取ろうかな。バイクの方が、自転車より旅の範囲が広がるんだろうなぁ。」と思ったりしていた。

そして宗谷岬に到達後、いつの間にか「今度は日本本土最南端を目指して旅したい!勿論、バイクで。」という目標が出来ていて、高校3年に二輪車免許取得したのは言うまでもないのである・・・。
 当時21歳  ・2005年4月、人生初めてのバイク事故に遭遇。

当時は2人乗りで、時速84kmキープしたまま曲がって直進道路へ進入した瞬間、対向車はまさかの右折。勿論、急ブレーキかけても間に合うがない。考える隙を与えてくれない自分はノーブレーキのまま「あ・・・・っ」と言うだけが精一杯だった。

脳内では「あ・・・・死んだ。」と。

そして対向車と接触し、自分と後ろに搭乗した後輩は対向車と接触の反動で容赦なくぶっ飛ばされる。

ぶっ飛ばされた自分は一回前転宙返りして対向車を越え、思いっきり地面に叩きつけられる。が、幸いにも、ノーブレーキで時速84kmのスピードを落とさないまま対向車に突っ込んだおかげで、地面に叩きつけられた衝撃はスピードと相殺して分散された為、地面に叩きつけられた自分は脊椎損傷無し、左薬指骨折のみで済んだ。

搭乗した後輩も、あれだけぶっ飛ばされたというのに、ただの打撲だけで済んだという。

あれだけ事故って、軽傷で済むなんて本当に奇跡過ぎるとしか言いようがない。


左薬指骨折したウチは手術で針金を左薬指に埋めて固定したレントゲン写真。


右図の写真はちょっとボヤけているが、埋め込んだ針金はいつでも取れるように、左薬指の上に針金が晒し出している。

左が事故現場、右が事故った後のバイクBAJA。

あれから1年後、脊椎損傷で車椅子生活している人と出逢う。
驚いたことに、この人もバイク事故で、ウチと同じ状況で事故ってしまい、ぶっ飛ばされた身体は地面に叩きつけられた衝撃で脊椎損傷してしまったという。

この話を聞いた自分は大きな衝撃を受け、「神様、自分を生かしてくれてありがとう・・・」と命の有難みを知り、泣きそうになってしまった。

そして、悟った。

人って、いつ死ぬかわからない。だから、悔いのないように全力で好きなことをやって生きていこう。

何もしないで後悔するより、して後悔したい。

色んなとこへ行きまくって、色んな事を経験しまくって、、最後に、

「して良かった。今まで生きてきた人生は本当に楽しかった。だから悔いはない。」


胸を張って気持ちよく死にたい。と強く誓った自分であった。あれから、旅のペースが一気に増えたのは言うまでもないのである・・・。

後悔って、本当に死を直面しない限り、一生気付かないものなんだなぁ・・・。
 海外の旅のきっかけ
 当時23歳 ・人生初めての南米、ペルーに旅したのがきっかけだった。 

中学生の時、社会の歴史勉強で教科書に「マチュピチュ遺跡」「ナスカの地上絵」を見た時だった。「どこだろー?ん?南米??遠すぎるしなー、旅行費用もバカにならないだろう。」と偏見で決めつけて自分勝手に諦めていた。

そして2005年8月(21歳)、人生初めての海外、ラスベガスに旅した。が、旅の目的はあくまでもカジノ一獲千金であり、海外の旅に関心がなかった。

あれから2年後、群馬県でS氏と出逢う。

「オレ、ペルー何回か行ってるよ。勿論、個人だから安く行けるよ。」

あれは衝撃的だった。

「嘘だろ?個人って、一体どうやって安く行けるの?言葉通じるの?」本当に信じられなかった。

2007年8月(23歳)、S氏に連れてってくれたおかげで、儚くて一生叶う事はないと思っていた、まさかのマチュピチュ遺跡とナスカ地上絵の夢が実現したのだ。

マチュピチュ遺跡を眺めているナガタカ(23歳)。


セスナ機でナスカ地上絵を展望。

S氏のおかげで、費用が高く、遠くて行けないと思っていた固定観念をぶち壊してくれたのだ。

本当に感謝しきれないです、S氏に。

あれから、毎年、海外の旅に出るようになった。

その後、旅友のO氏、SA氏と出逢った事により、さらに海外の旅の範囲がぐーんと広がっていったのは言うまでもないのである。
 関係ない話ですが、こういうのも悪くないと思った。
 当時21歳  2007年8月 ラスベガスで人生を賭けたギャンブル大勝負をして完敗し、全財産を失った時だった。

一獲千金、脱サラを目指して夢をみながら2年間カジノ攻略の研究をしてきたウチにとっては、ショックがとても大きかった。
カジノに敗れたことで絶望を覚え、頭と心が真っ白になったまま1人でラスベガス最大?高級ホテル・べラージオの大噴水ショーをボーっと眺めていた。

そして、大噴水ショーが終わると首を傾けて「はぁ・・・・もう終わっちゃったんだなぁ。これで一獲千金は失敗し、第二人生の計画が白紙になっちゃったな・・・今までの二年間、一獲千金を思い続けてカジノ研究してきたのは一体なんだったのかな・・・。これからはどうしたらいいんだろう、生涯平凡サラリーマンとして地道に生きていかねばならないのかな・・・・。」と無力さを痛感して悔しくてたまらなく泣きそうになった。

が、

全財産失ったというのに、不思議な事に心のどこかに清々しい気持ちになっていた。

そして気付いた。

「ああそういうことか、悔いのないように全力で勝負したのだから、やりきった達成感があったからなんだなぁー。道理で清々しい気分になっていた訳だ。」

今思えば、全財産失ったのは痛かったが、こういう貴重な経験は滅多にないし、本当にいい思い出になった。

「こんな大金をカジノで大勝負するより、車とかを買った方が良かったんじゃね?」と突っ込まれる人もいたりするが、自分の方はカジノで大勝負しなきゃ良かったと一ミリも思っていない。

「何もしないで後悔するより、して後悔したい。」言葉通り、カジノで大勝負して良かったと思っている。

もし、カジノで大勝負しなかったら、「もし勝負していたらどうなっていただろ?」とずーっと気になったまま後悔したのであろう。。

ラスベガス・ルクソールホテルの前(当時21歳)
 離島の旅のきっかけ
 当時19歳  2003年12月、冬休みにTと2人で人生初めて南の島・沖縄に旅したのがきっかけだった。


左が首里城、右が平和の塔。


今まで北海道で生きて来た中であんなに美しい白い砂浜、エラメルドグリーンは見た事がなかった。(当時19歳)

青く澄んだ美しい海に感動し、心を奪われてしまったのだ・・・。



あれから、心癒やしを求めて離島の旅に出るようになったのである・・。(この写真はパラオ共和国にある離島。)

山の旅のきっかけ 
 当時28歳  2012年7月、人生初めて北アルプス・燕岳に登ったのがきっかけだった。

今までは山に関心がなかった自分は山を除いて海外、海、離島、国内を中心に旅してきた。

そして27歳、「日本一高い富士山だけはどうしても登らねば!!」といった変な義務感(?)を持ったことにより、、上級者向けの御殿場ルートで富士山に登った。

富士山山頂にて。

「日本一高い富士山登頂したどー!!」と感動して終わり、それだけで他の山に関心を持つ事は無かった。
が、色んなとこへ旅しているうちに気付く。「そういえば、今までは日本中あちこち旅してきたけど、山だけはまだ旅していないんだよなぁ。山に登れずして日本を語れない、そんな気がするんだよなぁ。」と山に対する意識を少しずつ持つようになった。

そして最近、山にハマっている旅友のO氏から北アルプス写真を見せてくれたのをきっかけに、ウチの人生は激変する。

「な、なんだこれは・・・・?まるで惑星じゃないか?!この山はどこなんだ??」

O氏「だろ?これは北アルプスの燕岳だよ。」

「北アルプスの燕岳・・・・。」

富士山登頂して一年後、人生初めて北アルプス、燕岳に登った。

そしてウチが見た北アルプス・燕岳の景色は、自分の想像を超えた素晴らしい絶景だった。



「なんて美しいんだ・・・・・・。」本当に惑星かと思った。




「すっげぇ・・・・こ、これが北アルプス。雄大で迫力のある絶景、人生初めて見た・・・。」

こんなに素晴らしすぎる絶景が見れるのは山頂でしか見れない、まさに登山者だけの特権。

これだ、ウチが求めていた絶景だ・・・・。


あれから、北アルプスに取り憑かれたかのように毎月、山に通い続けるようになった。

山に通い続けているうちに、いつの間にか標高8000m峰のヒマラヤ山脈、世界一高いエベレスト登頂に夢を持つようになってしまった・・・。

なぜそこまで?と思っている人はいるかもしれませんが、答えは単純明快。

”世界一の絶景を見たいから。”

「世界一高いエベレストに登れば、世界一の絶景が見れるんじゃないかな?」と時々妄想してしまったり・・・。


厳冬期でも雪山登山しているナガタカ。(標高3026m、乗鞍岳(長野県)
海の旅のきっかけ 
 当時22歳 その①2006年8月日本最西端・与那国島、グラスボートで海底遺跡を見に行った時だった。 



船内にある大きなガラスで海底遺跡を展望するという形になっているが、見所がイマイチで全然物足りなかった・・・。


海底遺跡図。

「やっぱりダイビングで潜った方が、海底遺跡のすべてを見る事ができるんじゃないか?」

と思った。

その②2008年11月パラオ共和国、2011年12月北マリアナ諸島での海の中に眠っている生の旧日本軍のゼロ戦と対面を果たした時だった。。


浅瀬に旧日本軍のゼロ戦が眠っている。潮の流れが強いせいでウチとゼロ戦ツーショット撮れず。。
(IN パラオ共和国)・・・当時24歳


マニャガハ島の近くに沈んでいる旧日本軍のゼロ戦。右は念願のウチとゼロ戦ツーショット実現。
(IN 北マリアナ諸島)・・・当時27歳

世界大戦以来、60年以上も海の中に眠っているゼロ戦を目にして自分は驚いた。

陸は、どんどん時間が過ぎていくのに、海の中に眠ってるゼロ戦は時間が止まったままだった。

博物館に飾られている展示物よりも、海の中に眠っている生のゼロ戦の方が、戦争の凄惨さが物凄く身体に伝わってくる。

ゼロ戦を見る度に亡くなった兵隊は日本の未来、我々の為に命を張って戦ったと思うと胸が痛くなる。

戦争の凄惨さ、兵隊はどんな想いで戦ったのかをもっと知る為に、世界中の海に眠っている日本軍のゼロ戦や沈没船会いに海の旅に出ようと誓ったのである・・・。

勿論、それだけじゃない。。


海の底から見た海の空。

どんどん時間が過ぎてゆく陸と違って、

海は

完全に時間が止まったままー。





海の世界は幻想的で、自分の想像を超えた自然の神秘。

そんな世界を知ってしまったら、海の旅はやめられなくなっちゃうんだよねー。。(汗)


2012年11月、伊豆で念願のダイビングライセンス取得。(静岡県)・・・当時28歳

海の旅はこれから始まったばかりだ。。
 心を動かされた名言集
 漫画「岳」の名言



先生「なぁ、島崎・・・オレは死ぬぞ。」
三歩「?」
先生「オレだけじゃない。全ての人の最終到達点は死・・・・・・・・・

島崎、お前もだ。

そこまでのルートはお前にしか決められん。そう思わんか?」



先生みたいな名言、ウチに言われたかったな・・・・。(笑)もし、学生の時に言ってくれれば、人生はきっと変わっていたかもしれない。。
元日本代表のサッカー選手、中田英寿の名言 



W杯を最後に引退した中田英寿が放った言葉



”人生とは旅であり、旅は人生である。”


この名言、旅人の心に響く言葉でいいですねー。(笑)自分にとってお気入りの名言です。。

 数学講師の名言

なんとかのテレビ番組だったかは忘れたけど、出演した数学講師が放った言葉に強い共感を持ってしまった。内容はちょっと忘れてしまったけど、覚えている範囲で書きます。


講師を務める前の彼女は数学の天才だった。ある時、数学オリンピック選手として、日本代表に選ばれた。が、その同時に大手企業から内定通知が来た。もちろん、大手企業を選んだ方が、将来の安泰を約束されるという。

人生を左右する選択に迫られるが、彼女はー

「生涯は一度きり。」

迷う事は無く大手企業の内定を蹴って、数学オリンピックの道を選んだ。

数学オリンピックの道を選んだ彼女はこう答える。

「数学オリンピックに選ばれる機会なんて滅多にないし、こういう経験をしてみたかった。生涯は一度きりだから、チャンスを逃すと一生後悔してしまうからよ。」

数学オリンピックを経て現在、数学講師を勤めている彼女は、大手企業の内定を蹴った事に悔いはなく、生き生きした人生を送っていたという。


彼女みたいに悔いのない人生を送りたいもんだ。。
 漫画「DLIVE!!」の名言




「自分を信じろ・・・

どんな困難な状況においても、失敗を恐れる前に、

まず実行しろ・・・・

できない奴は生きる資格はねぇ!!・・・
ってね。



その通りだと思います、失敗を恐れてばっかりじゃ、何も始まらない。

ノーリスクで生きていけるほど世の中はそんなに甘くない。

だから、どんな結末が待っていようが、まずはやってみなきゃわからない。。。

といった具合で毎回、困難な状況に直面した時に必ず自分に言い聞かせている言葉です。(笑)
旅のきっかけ・名言
ナガタカの旅人生のきっかけを見て、少しでも人生のヒントになれたらと思っています・・・。